野嶋功

野嶋さんは、会社を経営する傍ら
トライアスロンやライフセービングクラブなどの
要職に就いて活動をしている方です。
お金じゃない「たからもの」をたくさん持っているんですね。
はやりの「ワークライフバランス」じゃなく
「ワーク<ライフバランス」。
そのヒントが散りばめられたお話がはじまります…。

人物図鑑インデックス

野嶋功_index
名前 野嶋 功
職業 不詳
 
 

第2回 南部忠平さんはスゴいんです!

イ:野嶋さんが強く影響を受けた南部忠平さんは、鳥取県では、ロサンゼルスのオリンピックの三段跳びで金メダルを取った方というより、鳥取短期大学の学長を務められた方として知られていると思います。

野:南部先生と最初に知りあったのは、新聞の取材活動ですが、僕が大学を卒業して鳥取に戻ってから数年経って、「(学長として)そっちに行くことになったから」と突然連絡がありました。それから非常に濃いお付き合いをさせてもらって、亡くなられるまで可愛がってもらいました。

イ:スポーツ界の伝説的な方からそんな連絡がきたんですか。たぶん野嶋さんに惹かれるものがあったんでしょうね。

野:ありがたい話です。鳥取短大の学長の仕事でこっちに来ると必ず「飲もうや」と連絡があって、たびたび飲んで話をしていましたね。

イ:年齢もかなり離れていたんじゃないですか?

野:50歳以上離れていますね。最初のうちはホテルをとって飲みに行っていましたけど、「もう面倒くせえ!お前の自宅でいいよ。俺ぐらい寝れるだろ?」って。(笑)

イ:有名人なのに、ずいぶん気さくな方なんですね。それだけ野嶋さんに心を開いているということですね…。

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野:僕は今、スポーツ関連を始めとして、いろんなことをやっていますけど、基本的なベース、拠り所は間違いなく南部先生です。先生との出会いがなければ、絶対に今の自分の考え方にたどり着いていないと思います。先生との出会いは人生の中での大きな転換点でした。

イ:それだけ人生における衝撃的な出会いっていうのは、そんなにないですよね…。少なくても私には今までありません…。

野:いや、本当に南部先生はすばらしい方でしたよ。

イ:どういうところがすばらしいんですか?

野:スポーツ選手は、いろんなタイプの人がいます。たとえば、競技者時代すごく輝いていて、競技を離れると全然話題にのぼらない人。その一方で、競技者時代には実績を残せなかったのに、指導者になったり競技以外の部分で輝きを増していく人がいます…。

イ:それはスポーツ以外でも当てはまることですね。

野:南部先生は、競技者の時代にすばらしい実績を残し、それが終わってからも影響力があり、生涯ずっと輝き続けていた方です。そんな方なのに、現役時代から「みんなは俺のことを『速い速い!』って言うけど、俺は馬ほど早くねえよ」っていうのが口癖だったみたいです。(笑)

イ:謙遜・謙虚さの表現なんですね。

野:戦前の「欧米に追い付け追い越せ」ってみんなが必死になってやっていた時代に、オリンピックで外国人を抑えて金メダルを日本にもたらした快挙は、今の時代のメダリストの比じゃないと思いますよ。

イ:同時代での体験ではありませんから、そのすごさが伝わりにくいんですけど、想像を絶する熱狂だったんじゃないでしょか。

野:現役を引退しても、映画俳優に誘われたり、毎日新聞の運動部長や東京オリンピックの日本の陸上総監督や大学教授・学長をやりながら、スポーツの普及活動を行った。まったくすごい方ですよ。

イ:まさしく、引退後に更に輝きを増すという典型ですね。

野:ある時、南部先生が叙勲を受けて、皇太子殿下(現在の天皇陛下)から御所での食事会に奥さんと二人で招待された時のエピソードを話してくれたんですけど、それがまた面白くて、信じられない世界なんですよ。

イ:どんな世界なんですか。

野:先生は、「招待されたから、俺は上等な食事が出ると思ってたら、鮎の塩焼きとかね、普通の食事だったんだよ」と。「その時、皇太子殿下は、使い古した靴を履いててね、普通の格好だったよ」って。それで食事時間に結構お話して「そろそろ失礼した方がいいかな」と思って、それを侍従長に確認するために「ちょっと席を中座させてもらってよろしいでしょうか」と立ち上がった時、皇太子さまは南部先生がトイレに行くと思って、浩宮さまに「トイレに案内するように」と目くばせしたらしいの。先生が部屋を出た瞬間に浩宮さまがすっとやってきて「先生、おトイレはこちらでございます」と案内されて…。「案内されたから断るわけにもいかず仕方なく小便に行ったよ。」だって…(笑)。

イ:皇室に便所を案内される…。一生ないですよ(笑)。

野:トイレから出てきたら、浩宮さまがずっと立って待っていたらしいですよ。

イ:浩宮さまが「南部先生のトイレ待ち」ですか。

野:皇室も南部先生も格が違いますよね。それ以外にも、オリンピックの時の人見絹枝さんや選手団のことなど、貴重なお話をたくさん伺うことができたのは、貴重な時間でしたよ。

イ:次元の違うエピソードですね。確かに想像を絶するすごさです。

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野:更に先生は「遅いより早い方がいいに決まってる。ただ、早いだけじゃダメなんだよ」と言うんですね。『早いだけじゃなく、素晴らしい人間にならないと、スポーツをやっている意味がないんだ』と言うわけです。それを、初対面の時から何回も話していた。これは先生の哲学です。その全てが僕に染みています。

イ:私はスポーツをしないので、実感として今ひとつわかりませんが…。

野:たとえば、トライアスロンで一流と呼ばれる選手の中には、一生懸命でいいヤツなんだけれど、競技のことに集中してしまうと周りが見えなくなる人がいます。これは、自分以外のものに配慮ができなくなるということなんですけど、そういう人に対して僕は、南部先生の話をしたり、「感謝の言葉を伝えろ」と言い続けてきました。

イ:言い続けると、変わっていくものなんですか?

野:変わりますね。その中の一人である小原工君は、シドニーオリンピックのトライアスロン競技に出場しましたが、選手としても一人の人間としても素晴らしいアスリートだということで、日本トライアスロン連合から「ミスタートライアスロン」という称号をもらっています。これは、南部先生の哲学が受け継がれたものだと思っています。

イ:亡くなっても、受け継がれるほどの精神や哲学…。南部さんの影響力はすごいですね。

野:影響力というか、僕にとっては考え方の元です。先生に出会えていなかったら、たぶん今こんなことは絶対にしてないと思いますよ。

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イ:野嶋さんは、トライアスロンに選手として連続出場されたり、スポーツ振興に力を注いでおられますが、学生時代何かスポーツをやっていましたか?

野:やっていません。

イ:やっていない?

野:高校時代は、本当にマナーの悪いサッカー選手でした。だから、その頃はスポーツをやっていたとは言えないですね。

イ:傍若無人だったんですか?(笑)

野:そうです。ありえないぐらいに…(笑)。

イ:結構優秀な選手のイメージがありますけど…。

野:まったく優秀じゃない。そんなヤツが傍若無人だったから、これはもう話にならないぐらいに最悪だということです(笑)。

イ:その頃のエピソードは何かありますか?

野:高校時代、フォワードで結構得点力もあって、足も速かったんですけど、県選抜に残るというところまでは届きませんでしたね。その原因は、運動能力以上に自分の素行の悪さだったんだと思います(笑)。

イ:素行が悪い?

野:問題行動があまりにも多すぎました(笑)。だってゲーム中でも審判に文句を言う。相手のチームの選手にも食ってかかる。これはもうスポーツじゃなくて格闘技の世界ですよ。

イ:大学時代は新聞部ですから、スポーツ系の部活動はやっていなかったんですか?

野:やっていませんね。大学のスポーツは、部活だったら生半可な気持ちでできるレベルじゃないですよ。同好会なら別にやる必要もないですし…。

イ:やる必要がない?

野:大学に入学した時に思ったのは、せっかく親から仕送りしてもらって都会に出るわけだけだから、経験したことがあることより、新しいことを見聞きしたり、体験した方がいいと思ったんですよ。

イ:新しいこと、それが新聞部だったわけですね。そこでも素行不良な部員だったんですか?

野:新聞部では、原稿を書いたり、本読んだり、取材に行ったりすることが仕事でしたから、素行が悪くなる要素はあまりなかったですね。

イ:その取材で南部さんと出会ったわけですね。

野:南部先生と知り合ったのが大学3年生の時です。取材をした時は、就職活動の話がメインだったので、「この先生は昔すごかったんだ」というぐらいの印象。それだけでした。

イ:初対面の印象は薄かったんですね。

野:人との出会いって、初めはそんなものなんじゃないですか?僕が新聞部に入っていなかったら、南部先生の所に取材に行くこともなかったし、こんなに人生が変わることもなかった…。本当に素晴らしい人に出会って、得がたい体験をさせてもらいましたよ…。

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イ:野嶋さんは、そういうことが理解できる器になってきたということですかね(笑)。

野:いや、違いますよ(笑)。いいタイミングで先生に出会ったんだと思います。傍若無人な高校時代に出会ってたら「何言ってんだ、このジジイ!」ぐらいにしか思わなかったでしょうからね(笑)。

イ:でも、そういう時期を経てきたからこそ、南部さんの言葉が強く染みてきたということでもあるんでしょうね。

野:それはありますね。本当に。目から鱗がたくさん落ちましたからね。

イ:高校時代も、自分が悪いという気持ちはあったんでしょうね…。

野:マナーが悪いのは自分でもわかっているんですよ。虚勢を張るというのは負けたくない気持ちがあるから、非常に弱いんです。負けるのが怖かったんだと思います。そういった屈折した気持ちを受け止める人がいなかったから、試合で発散させていたんでしょうね…。

イ:受け止める人? 指導者がいなかったんですか?

野:いませんでしたね。でも、「俺たちは、そんな人がいなくても大丈夫。強くなれる」みたいな。そういう歪んだ感覚があったと思います。本当は、求めていたと思いますよ。

イ:そういう経緯があるから、ホンモノに出会って鱗が落ちたんですね。

野:本当の指導者と出会ったから、素直に受け入れられたんだと思います。垢が全部落ちて、「スポーツってやっぱりこうあるべきだ」と。それからはマナーに対して本当に厳しい真人間になりました(笑)。

イ:よき指導者というのは大切なんですね。

野:そうですよ。まず指導者は人間的に素晴らしい人であってほしい。指導を受けた人たちのその後の生き様が変わることがあるんですから…。そのためには、正しいことを伝える必要があります。

イ:指導者というのは、親も含みますよね。

野:もちろん。正しいことをきちんと教えられてない子供が、大人になっていった時に更に間違ったことを伝えていく。この連鎖は危険です。だから、親は正しことがわかるまで何度でも伝えていかなきゃいけないと思います。それは指導者も親もまったく同じですよ。

イ:南部さんが亡くなっていなかったら、同じようなことをおっしゃるかもしれませんね…。

野:わかりませんけど、一言で言えば「スポーツっていいもんだよ」ってことですね。それを何回も話しておられました。簡単な言葉なんですけど、南部先生から出てくるその言葉は、本当に深くて重たいです…。

(2013年1月25日 取材)

人物図鑑の野嶋さんの画像は、サングラスをかけているものがありますが、目を保護するためのもので、カッコつけて女性にモテるためではないと思いたいです。

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