今回登場する大下志穂さんは、
多くの作品を生み出しているアーティストなんですが、
最初からそれを目指していたわけじゃないんですね。
いろいろなことを点と点を結ぶように経験しながら今に至るまでのこととか、
これからのことついての考えがとても面白い。
そういうお話を、みなさんにおすそわけしたいと思います。
名前 | 大下 志穂 |
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職業 | アーティスト |
イ:鳥取には、いつ帰ってきたんですか?
大:2009年の春ですね。
イ:地縁はあるけど、誰も大下さんがアーティストを目指していることを知らないですよね。
大:何にもないし、絵も描いたこともないし、実際作品なんか作ったことがなかったんですよ。
イ:え! ないんですか?
大:カナダでは、アニメーションの作品を作っていたし、絵も多少は描いていたけど…。東京では、時間がなかったから一切描いていないんですよ。でも、個展をするのは決めていました。
イ:作品がひとつもないのに?
大:ないのに(笑)。とりあえず個展をやって、知ってもらわないことには何も起きないと思って、個展の日付と場所を決めて、そこから作品作りを集中して始めました。
イ:個展はどこで開催したんですか?
大:境港のギャラリーで。自分のイメージにぴったりで、古民家を改装したような素敵なところでした。
イ:その時点で、「アーティストとして食べて行こう!」と思っていたんですか?
大:もちろん。夢は大きく持っていますから。食べていこうと思っていますよ。絵を描いてね。
イ:信じられない(笑)。
大:「何とかなるかな~」みたいな感じでしょうか(笑)。
イ:いい意味での思い込みがありますね。普通ないですけど。
大:でも、長期的に考えてもしょうがないんですよ。やってみないことには次の方向性が見えませんからね。
イ:その時点では、まだ作品は頭の中にあるだけで、形になっていないわけですよね。「形にして、それが受け入れられなかったらどうしよう」という不安みたいなものはなかったんですか?
大:ないですね。
イ:「受け入れられる」って思うんですね?
大:「受け入れるかどうか」なんて考えてもみなかったです。そこは全然迷いがない。あったらできないですよ。こんな仕事は。
イ:そうでしょうね。そこがプロとアマチュアの差なんですかね?
大:プロでやるのか、趣味で終わるのかっていうのは、覚悟の差でしょうね。それは、自分に対する信頼だと思いますね。技術じゃないです。周りの評価というよりは、自分の中の覚悟。
イ:覚悟があった最初の個展ですが、来場者はかなりありましたか?
大:母の応援もあって、地元だし、たくさんの方にきていただきました。
イ:反応はどうでしたか?
大:感動して帰って行かれる姿とか、1時間もずっと絵を見てくれる人とか。泣いて帰っていく人とか。
イ:泣く人がいるんですか。
大:いましたね。
イ:それはすごいですね。
大:すごいことです。童心にかえるというか、忘れていた感覚を思い出しましたと…個展をやって、感動を共有できて、自分の方向性がわかってきましたね。
イ:それから、どう展開されてきたんですか?
大:個展をしたことによって、メディアに取り上げていただいたり、アトリエを作ったりとか、少しずつ動き出したんです。展覧会も毎月のように開催しました。でもそれで食べられるわけではないんですよね…。「さあどうしよう」って本当に思いました。
イ:現実的な問題に直面したわけですね。
大:私は、絵を描いて「誰かと作品を共有したいな」っていう気持ちはありますけど、それをどんどん売っていきたいわけではないんですよ。アーティストになりたいわけでも、画家になりたいわけでもないなと思っていて…。悶々と過ごすわけですよ。続いていた展覧会が、パタッと終わった後に、何もすることがないっていうか…。作品は作るべきなんだろうけど…。
イ:理想と現実とのジレンマという感じですか?
大:そうですね。なんかぽっかりと…。自分でも「今後どうやってこれを生活の糧にしていくか」っていう方法がみつからなくて。引きこもっていたっていうか…。お金もないし、不安とかが先立って、人にも会わず家で毎日悶々としていました。
イ:今までの話がポジティブだったので、悶々がより悶々と感じられますね。
大:本当に悶々としていましたね。それを友人に話したら、「必要なものはずべて与えられているんだよ」って。「お金がないから作れない」っていいわけしてたんですね。それから自分の中のスイッチが切り替わったっていうか、「お金がないからできないって言っていてもしょうがない、キャンバスだって絵具だってあるのに何やってるんだろう」って。冬眠の時代が終わって、「うん。作ろう!」っていう意欲がわいてきました。
イ:悶々としている時期に、悶々とした絵を描く画家がいますけど、大下さんは描けない人なんですね。
大:描けないですね。意欲が湧かないから、苦痛になっちゃうんだと思います。苦痛な絵を評価する人は、たぶん世の中にたくさんいるんでしょうけど、そんな苦痛を人と共有したいとは私は思えないです。
イ:それで少しずつ歩き始めるわけですね。
大:そんなときに、東京時代の同僚とアニメーション作ろうという話になって、勢いでアニメーション作品を1か月くらいで作ったり、海から拾ってきた社会にとって無価値なものを自分が手に加えて再生するプロジェクトをやったりしましたね。そうやっているうちに、いろいろな人たちとつながりができてきましたね。
イ:お金もなくなって、現実問題として「生きていく」ことを考えますよね。その時、誰かを頼ったことはありますか?
大:親に頼りましたね。私は、どうしても頼らなければならなくなった時は、自分の年齢にかかわらず頼ればいいと思います。もちろん自分がそれを許せるかどうかもありますけど。
イ:それは、自分自身も誰かに頼られれば、何らかの余裕がある部分をおすそわけするっていうことですか?
大:そうですね。たとえば、仲間で仕事がないっていう人がいたら紹介するとか、自分の持っているものの中で、できる限りのことをしようと思いますね。してもらったことは返したい。みんなに。
イ:それは、広く言えば世の中にってことですね。もらったものは、場合によってはその人に返さなくても、別の人におすそわけするということもありえますよね。
大:そうですね。「できることをお返しする」ということです。
イ:大下さんは、お金っていう意味じゃなくて、資産をたくさん持っている感じがしますね。
大:人の資産は、すごくあると思います。結びつきというか、信頼関係はかなり貯まってきていると思いますね。
イ:それは、お金みたいに見えるものではないですけど、すごい資産ですよ。
大:それが一番ですね。人の資産があれば、お金がなくてもなんとかなるものなんですよ。それは素晴らしいなっていつも思いますね。
イ:なぜ大下さんは、人の資産が貯まっていくんでしょうね。動いてるからというわけでもないような気がするんですけど。
大:やっぱり、お金の以外のところで結びついてるからでしょうね。ビジネスであってビジネスじゃないんですね。それと、いつも「たくさんの人を巻き込みたい」って思っているんですよ。
(取材/2013年9月18日)
大下志穂さんのサイト
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