「モテモテになりたい!」という とても素直な気持ちから
種ちゃんは「フォトグラファー」を目指しました
その夢は実現して絶頂期を迎えるのですが
そこから種ちゃんに大きな変化が起こります
その変化の中で たくさんの発見をするんですね
ちょっと体験できない
感覚的で疾走感のある話をお楽しみください!
名前 | 種田宏幸 |
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職業 | フォトグラファー |
イ:フォトグラファーになった種ちゃんは、プロとして「ササキスタジオ」に所属していたんですよね。
種:そうです。
イ:そういうフォトグラファーは、何人ぐらいいたんですか?
種:多いときは、30人ぐらいですね。給与はプロ野球と同じで年俸制に近いんですよ。自分の売上から、アシスタントの人件費と事務所の維持費とかを引いて、残りを12回に分けてもらうんです。
イ:そこから独立する人もいるんですか?
種:たくさんいました。
イ:そういう人たちと交流はあったんですか?
種:情報の交換とかスタッフの貸し借りはしてましたね。たとえば、「今日ビッグな仕事が入るからアシスタントを一人貸して!」とか。トラブルがあったり喧嘩したりもありましたが、やりとりは面白かったですよ。
イ:その時点で、プロになる前の「モテモテになる!」という目標は達成したんですか?
種:自ら写真を撮るようになって、お金も稼げるようになって、モテモテになりました!! でも、それは自分が求めていたフォトグラファーじゃなかったですね…。
イ:求めていたものじゃなかった?
種:広告ですから、「こうやって撮ってね」とか「こう撮れよ!」という、クライアントやデザイナーの意向があるんですね。そうなると、「撮らされている」ような感じになるんですよ。
イ:最初の頃の「モテモテになりたい!」から、意識が変化していますね。
種:「撮らされる」とは別の方向に行きたかったんですけどね…。
イ:でも、商業ベースで考えると、クライアントの意向に沿うことは重要ですから、本当にやりたいことと現実との折り合いをつけることは、かなり難しいと思いますよ。
種:難しいです。でも、そういう葛藤の中で「俺、今日フォトグラファーになったわ!」という瞬間があったんですよ!
イ:「プロになった瞬間」ということですか?
種:そうです。
当時、同じ事務所に、モデルを撮らせたらトップのフォトグラファーがいたんですよ。自分はその人に気に入られていたんですが。その時、湾岸戦争が起こって海外ロケができなくなったので、国内撮影にスケジュールを組み直さないといけなくなったんですね。
「カタログ一冊を自由にやっていい」っていう大きい仕事だったんですが、彼のスケジュールがバッティングしちゃってできなくなった。そこで「種、行ってこいや!」って言われて…。ビビりましたね。
イ:突然の大仕事ですからね。
種:それまで、クライアントやデザイナーがいて、その指示に従って撮っていたのが、「自由にやっていいよ」って言われるんですよ!
イ:「撮らされる」から「撮る」へ真逆の変化ですから、戸惑いますよね。
種:一応、立ち合いでデザイナーの方は同行してるんですけど、何にも言わないんですよ。撮影時は立ち合いもせずに、「絵が好きだから」って、離れたところで絵を描いてるんですよ!(笑)
イ:何ですかそれは! 自由過ぎる!
種:そう(笑)。でも、気持ちいいんですよね~。
沖縄のビーチでの撮影だったんですけど、その時「俺、フォトグラファーになった!!」って初めて感じたんですよ。「フォトグラファーってこういうことだよ!!」っていうのが、今でも忘れられないです。
イ:「自分のやりたいことはこれだ!」って気づいてしまったんですね。
種:気がついたんですよね。それが転機でしたね。
沖縄のビーチで、多分当時の自分としてはカッコよく写真を撮っていたんですよ(笑)。
今、当時のスナップを見ても全然カッコよくないし、着ているブランド物の洋服も背伸びをしていて追いついてないし、いっぱいいっぱいですよね。
でも、自分でモデルを走らせて撮っていて、初めてフォトグラファーになったっていう瞬間が見えたなぁ…その時。
イ:スゴいですね。でも、それを持続させないといけないですよね。 何もなければ落ちていくわけですから…。
種:バブルで時代もよかったし、師事をしてた方が自分にチャンスをくれたのはラッキーだったし、「Zipper」っていう女の子向けの雑誌の副編集長さんとの出会いが大きかったですね。営業に行ったら、いきなり2年くらいレギュラーをくれたんですよ。「次の号から種ちゃん巻頭10ページ!毎月だよ!」って。それも超ラッキー! 今見ると大した写真じゃないんだけど、何かあったんでしょうね…。
イ:完全に流れが「フォトグラファー種ちゃんペース」になってますね。それは絶対に何かあったんですよ! 何だと思われますか?
種:自分の中でも何かが弾けたんでしょうね。でも、冷静に考えると、自分も準備をしてたと思いますよ。
アシスタントの頃から矢沢永吉の生き様とかにめちゃくちゃ憧れてたんですよ。彼の著書「成りあがり」。それをボロボロになるほど読んで、もう何冊目かわからないんですけど…。「目標を見失ったら人は一番苦しい。俺には音楽があった」だとか、たくさんの言葉を胸に刻んでいましたね。自分なりにつかむべき目標を持っていたし、そのための準備はしてきたつもりです。
「俺は自由だ!」っていうのが見えてきて、流れをつかんでからは、すごく調子が良かったですね。
イ:目標に到達するためには、チャンスをつかまなければならない。それをつかむためには、蓄積がなければいけないっていうことでしょうか。つかみ損なったら「二度と仕事を回さない」という話になるかもしれませんからね。
種:そうですよ。フリーのフォトグラファーなんかは、使い捨てですからね。一回ダメだったら「もういいよ!はい、次」みたいな…。そう思うとラッキーだったというか、運命の出会いっていうとカッコいいけど、それを上手くつかんだと思いますね。
イ:それは、すごいことですよ! その後はどうなったんですか?
種:それから、自分がやりたい音楽の写真を撮り始めました。
イ:音楽の写真? ライブを撮るということですか?
種:ミュージシャンの方をスタジオで撮ったり、CDのジャケットを撮ったりですね…。音楽の写真は自由度があるんですよ。
イ:音楽写真とカタログ写真の違いはどこにあるんですか?
種:「俺は、自由だ!」って思って撮っていたカタログの写真ですけど、クライアントによって洋服の見せ方は千差万別なんですが、基本的には「洋服」を撮ってるんですね。
ミュージシャンの方の場合は「人間」。言い換えると、その人の「イメージ」を撮ってるんですよ。これは自由度が広くて、表現の可能性を高められる仕事なんですね。
イ:「自分の作品」みたいな感じですか?
種:そうですね。
イ:でも、上手く写真で表現するためには、その人を調べておく必要がありますよね? どんな人なのか、どんな音楽性なのかとか…。
種:レギュラーで毎月撮っていたミュージシャンの方は別として、初めて撮る人の時は、レコード会社で打ち合わせをして楽曲をいただいて自分なりに聴いて挑みます。
音楽の仕事の時って、たとえば背景を決めたりだとか、フォトグラファーがいろんなアイデアを出すんですよ。自分はそういう企画力っていうかアイデアの引き出しをたくさん持っていたので、写真でいろんな表現ができたと思います。
イ:アイデアの引き出しが、枯れることはなかったんですか?
種:たとえば、毎月「VOGUE」っていうファッション誌を見てました。当時は、最先端のファッションの教科書みたいな感じでしたから、空輸されてくるイタリア版を高いけど毎月買って、「俺が一番最初にパクってやる!」みたいな感じでしたね。アイデアの仕入れはよくやっていましたね。
イ:それを見て、自分なりに咀嚼してオリジナルにしていくということですか?
種:そうですね。
イ:でも、それは流行の最先端の情報ですよね。たとえば、流行だけじゃなくて自分の嫌いなもの、興味対象から外れるようなものも仕入れるということもあったんですか? それとも、あくまでも流行や好きなものを追っていったんですか?
種:「カッコイイ」って「ビビッ!」てくるものをとにかくスクラップしまくってましたね。「乗り遅れたらおしまい」っていう気持ちがありましたからね。その点は迷いがなかったですね。
イ:時代の最先端のスピードについていくことは、並大抵じゃないと思います。激しい世界なんでしょうね…。
種:でも、やっぱり楽しかったですよ。
イ:それが何年くらい続くんですか?
種:米子に帰ってくるまでですから、30代半ばまでですね。ちょうどカメラマンとしても、年齢的にもいい年頃だったので、いろんな意味でモテモテでしたね。楽しかったですよ。
イ:ご自身の仕事は、油に乗っていて疾走感がありますし、バブル経済と重なりますから、振り切れた感じでしょうか。
種:「こんなにもらってもいいの!」っていう仕事もありましたしね。時代が良かったんでしょうね。「恰好が面白いから、種にやらせてみよう」っていうのもありましたね。
イ:今の種田さんの外見は、非常に目立つんですけど、東京にいた頃にもそんな感じだったんですか?
種:東京にいた頃は、もうちょっと変でしたね(笑)。原宿とかの交差点で知らないおばさんに「あんた何でそんな恰好してんの?」って言われたたこともありますから…。(笑)
イ:原宿で言われたんですか? (笑)
種:そう、原宿で(笑)。白のフェイクファーの帽子を被ってて「え~~ッ!?」って言われました。
イ:それは、意識してやっているんですよね。
種:意識してましたよ。今も撮影の時は派手なカッコをしています。自分の中ではステージ衣装なんですよ。スイッチが入るんですね。
自分のスイッチを入れたり、緊張を抑えるために個性の強いブランドの洋服を「バチッ」と着ると「よし、やるぞ!!」っていう気持ちになるんですよ。
イ:現場って想像できないですけど、すごく高いテンションで誰もがやっていくわけですから、それを上回るパワーで挑まないと戦っていけないっていうところもあるんでしょうね。
種:まあ、みんなそういう人ばっかりで華やかな感じだから、スイッチを切り替えるのためにこういうカッコをしてます。もちろん家ではしていないですよ。(笑)
でも、今は逆な部分がありますね。東京にいた頃は、「緊張しないように」とか「ビビらないように」ってことで目立つカッコをしてたんですけど、今は、むしろ緊張するようにしている部分があるかな…。
イ:それはどうしてですか? 鳥取だから? それとも、被写体と関係があるんですか?
種:どれも違うかな…。緊張しないこと、慣れをなくすためですかね…。
イ:それは、違った境地に入ったということなんでしょうか?
種:なんだろう…。カメラの扱い方などは、当然慣れが必要なんですけど、「人」を撮るときに「成人式の写真を撮るの1000人目だぜ!」みたいな向き合い方はダメじゃないですか。初めて撮った時のドキドキ感じゃないけど、初心みたいなものを見失わないように、個性の強い洋服を着てスイッチを入れてるっていうのが、こんなカッコをしている理由ですね。
イ:慣れないようにするために、そういう恰好をしている…。
種:そうですね。ブライダルの写真とかもたくさん撮ってきましたけど、ほとんど初めてのお客様ですよね。なのに「今日は、もう5組目だぜ」みたいな感覚ではダメでしょ。だから、自ら緊張させるために、こんな恰好をしてます。
イ:服装もテンションを上げるひとつの手段だと思いますけど、それを何回かやってると慣れてしまいませんか?
種:東京でもうちょっと長く続けていたら、あったかもしれませんね。
自分は、フォトグラファーとして、いろんな経験を経て音楽の仕事にたどり着くという、遅いスタートだったんですね。ですから、こっちに帰ってくるまで「慣れ」というものはなかったですね。
自分が経験を積み重ねることによって、最初は無名なミュージシャンの白黒の1ページから、次第にメジャーの度合いも上がってくるので、すごく楽しかったです。ずーっと続いていくと辛くなっていったかもしれませんけど…。
イ:種田さんは、カメラを武器にメジャーなミュージシャンに対峙するわけですよね。自分のステージにケストを迎えるんですから、それはすごく興奮することなんじゃないですか? 想像できないですけど…。
種:いや。辛いこともありましたよ。最初の頃、有名な大きなスタジオを借りて「avex」の女性ミュージシャンのCDジャケットを撮ったんですけど、当時の自分はまだヘッポコで、撮った写真が明らかにカッコ悪いんですよ。
イ:「ヘッポコ」って…。感性が違うってことですか?
種:下手くそだったんですよ。撮ってる写真の仕上がりも、何もかもが…。そうしたらスタジオ全体に「違うんじゃない?」っていう空気が漂うんですよ…。でも、時間も限られてるから、本番のシャッターを切らなきゃいけない。一人ぼっちな感じがメチャクチャ辛かったです…。
イ:それは、何が違ったんですか? 気持ちが切り替わらないんですか? 「空気感」は、自分の力ではどうしようもないものなんでしょうか…。
種:なんだろ…。切り替えるなら、スタジオのセットもガラッと変えないといけない。時間は限られているから、押し切るしかなかったんですよ。
イ:その雰囲気や条件の中で、いいものを撮るしか方法がなかったんですね…。
種:そういう時は、辛いですよね。一人ぼっちですもん…。自分は「いいね。いいね!」っていうんだけど、背中では「絶対ちがうだろ!」っていう周りの空気を感じてるんですよ。しかも、みんなそう思ってるんだけど、誰も何も言わないみたいな…。
イ:聞いているだけでも恐ろしくなる光景ですね(笑)。でも、その逆もあるわけですよね?
種:ありますね。「ドカーン!!」とくるときがありますよ! そういうときは、超楽しいですよ!!
イ:「絶対違うだろ…」から「ドカーン!!」ですか。すごい振れ幅ですね…。
種:「ドカーン!!」の時は、そりゃ凄い達成感ですよ!
イ:凄い世界ですね! でも、時代や高揚感を追い続けて、それに向かって行ってるというのは、刺激的なことなんでしょうけど、どこかで自分の感性と時代がリンクしなくなる瞬間があるんじゃないですか?
種:歳をとっていくと、やっぱりそういうことってあるので、消えていく方って沢山いらっしゃいます。篠山紀信さんなどは、今でも東京で大きな写真展とかされているので、そういう面ではすごい方ですよね。多くの方は歳をとると違う方向性にシフトしていくと思います。そうしないと、若手も出てこれませんしね。自分は、そこまでいかない段階で米子に引っ越しましたので…。
イ:え…! メジャーなフォトグラファーとして、絶頂の時期に帰ってこられたんですか!
種:そうですね。『完璧な絶頂』でしたよ。超モテモテでしたし!
イ:それは、キツい…。
種:キツかったですね…。
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