たねちゃんモテモテになりたいッ

「モテモテになりたい!」という とても素直な気持ちから
種ちゃんは「フォトグラファー」を目指しました
その夢は実現して絶頂期を迎えるのですが
そこから種ちゃんに大きな変化が起こります
その変化の中で たくさんの発見をするんですね
ちょっと体験できない 感覚的で疾走感のある話をお楽しみください!

人物図鑑インデックス

種田宏幸
名前 種田宏幸
職業 フォトグラファー

第3回 ホンモノのフォトグラファーになる瞬間

イ:お父様の体調が悪化したというのが、鳥取に帰られた大きなきっかけになるんですか?

種:ええ、そうです。
その時の夜も、芸能人を撮るんだったら一番カッコイイっていう渋谷のスタジオで、石井達也さんのカレンダー撮影をやってたんですよ。その最中に妹から「お父さんが倒れた!」って泣きながら電話がかかってきたんですよね。
それまでは、東京で金もあるし女にもモテモテだし、鳥取なんて全然考えてもなかったですね。
でも「倒れた!」って聞いたら「助けなきゃ!」みたいな気持ちになって、翌朝こっちに帰って来たんですよ。

イ:すぐに東京から戻ってこられたんですか?

種:いえ。とりあえず次の日も仕事があったんですけど、同じ事務所のカメラマンに代わってもらって、病院に行く為に戻ったんです。父は入院をしてるし、お店をどうするのってことになって「俺が助けなきゃ!」ってことになって…全部引き払ったのは3か月後ですね。

イ:ここまで疾走感のある仕事だったら、なかなか帰省は決心できないし、気持ちもなかなか切り替わらなかったんじゃないですか?

種:切り替わらなかったですね。数年間は涙で枕を濡らしていました。

イ:数か月じゃなく、数年。やはり重い決断だったんですね。

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種:お店は、スタッフの方もいらっしゃるから「守らなくちゃ!」っていう使命感と、「何で」っていう理不尽さとの戦いでしたね。東京での仕事が、メチャクチャ楽しくて、どっぷりと浸かってので、なかなか忘れられなかったんですよね。

イ:何か気持ちが切り替わったきっかけはあったんですか?

種:考え方かなぁ…。
突きつめると「あなたの仕事、何ですか?」ってことなんですよ。
同じ写真屋の若手と話しをするときに「あなたの仕事、何ですか?」って尋ねると、ほとんどの方が「カメラマン」って答えるんですよね。「『カメラマン』じゃなくて、『フォトグラファー』だろ!」って、怒ったりもするんですけど、でもそれって職業であって仕事じゃないんですよね。

イ:仕事じゃない?

種:仕事っていうのは、社会に貢献することとか、人を喜ばせること、感動を与えることだって思えるようになってきたんですよ。そういうのって歳のせいなんでしょうかね…。

イ:お金や物質のような「見えるもの」というよりは、より精神的な「見えないもの」ということなんですか?

種:多分、そういうことだと思いますね。東京でやってた頃は、ギャランティも全然違うし、何度も言いますけどメチャメチャ楽しかったですよ。でも、結局、洋服とかミュージシャンの虚像だったりとか、そういうものばかりを撮っていたんですよね。

イ:現在はどうなんですか?

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種:今、自分がやってる写真館の仕事って、いらっしゃった方に感動を与えることができる仕事なんですね。お客様は、ファミリーの方が多いので、家族の絆みたいなそういう感動を与えることができるんです。
自分の命より大切なものって、きっと家族ですよね。「感動を共有できるというのが、自分の仕事なんだな」って思うんです。
東京で撮ってたものは、形だけのもので薄っぺらいというか、虚像だったんですよね。今の仕事は、カッコいいとかカッコ悪いとかそういうことじゃなくて、「俺の仕事はこうなんだな」って思えるようになりました。今は、時間が解決したという中で、考え方も変わりましたし、時間はかかりましたが、すごく良かったと思ってます。いい仕事をしてるって気がします。

イ:確かに、今のお仕事は、写真を媒体に絆を深める、感動を共有するというところを感じますね。また、東京の頃のお仕事は、商業ベースに乗ってるわけだから、消費されるところはあるんでしょうね…。

種:写真館の仕事は、すごく好きだし、素晴らしい仕事に就いてるなって思います。
ブライダルの仕事もさせてもらっていますけど、ブライダルそのものが感動じゃないですか。涙でファインダーが曇ることもありますよ。自分たちがスナップさせてもらった写真を二人の人生の節目として、喜んでとっておいてもらえるのはすごく嬉しいです。

イ:確かに、自身の人生の中でどの写真を抜いて見るかっていうことになれば、節目節目の写真になりますからね。

種:東京はすごく楽しかったけれど、今は帰ってきて良かったなって気持ちですね

イ:でも、それは東京での経験と、戻って来た時の経験の振れ幅の大きさがあったからこそわかったことなんじゃないですか?  たぶん、こっちだけ、あるいは東京だけでずっとやっていたら、わからなかったんじゃないかと思いますけど…。

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種:そうだと思います。自分はラッキーなことに、今でも当時の仲間から仕事の依頼があるんですよ!

イ:それは、県外に行って撮影するということですか?

種:ちょっと前に終わった仕事なんですけど、建築家のフランク・ロイド・ライトをずっと追いかけてました。

イ:帝国ホテルを設計した?

種:そうです。アメリカにフォーリング・ウォーターっていう彼が建てた家があるんですけど、そこに先々月写真を撮りに行ったり、名古屋に移築した帝国ホテルや東京の明治村にも行きましたよ。そんな感じで「世界中を飛び回って取材してこい」みたいな仕事をいただくので、今でも東京にいた時の振れ幅を生かしている部分はありますね。

イ:すごい幅の広さですね、しかも良い意味で力が抜けていて自然な感じがします。カッコイイです!

種:写真館の集まりとかでも、若手は「コマーシャルはカッコ良くて、自分たちは一段下でカッコ悪い」みたいな意識があるので、うまく伝わるかはわからないけど、とっても素敵な仕事だということを伝えていきたいです。

イ:いや~。いい仕事ですよ!!

種:いいですよ!  絶対に喜んでもらえるんですから。当時の東京での仕事は、カッコよくCDジャケットが撮れて売れたっていっても、感動ビジネスじゃないですから。やっぱりこれからは、感動ビジネスをやっていくのが一番いいなって思います。

イ:そうすると、現在のお仕事は、人の感動に寄り添うフォトグラファーと、それ以外に請負う部分もあるわけですね。

種:そうですね。写真店で感動ビジネスを一生懸命やりつつ、たまに広告の仕事も請負いながら、バランスを取ってる感じでしょうか…。

イ:その他に、仕事ではないんでしょうけど、「自分の撮りたいもの撮る」っていう衝動もあると思うんですけど、そういうこともされてるんですか?

種:していますよ。それはそれで楽しいですね。

イ:今までの話を伺っていると、予期せぬことで葛藤があったにせよ、うまく背負っているものを降ろして、そしてその中に、新しいもの、自然で自由なものを加えて背負い直しているという感じがします。これは、すごくいい流れですね。

種:バランスとしては、いいかもしれないですね。

イ:これから、どうするんですか?

種:そうですね。お客様に喜んでもらえるとか感動を与えることが仕事だから、そういう意味では手段は写真じゃなくてもいいんですよね。たまたま自分は、それを成し遂げる道具が写真だったっていうだけなので、なんでもいいんですけどね…。
まあ、そうは言っても、自分は写真しかできないので、そこのところをもっともっと積み上げていくしかないのな…。

イ:まだ、何か感動を与えられる何かがあると思いますよ。

種:そうでしょうか(笑)。

 

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