井田速美

今回登場する井田さんは、梨を作っている農家の方です。
なんだか生きづらい世の中で、
「この道は危ないな」って思っていても、
とりあえず大きな流れに身を任せてしまう…。
そんな方は多いと思います。
「ちょっぴり不安だけど、自分の道を進んでみよう!」
少しずつ、少しずつ…。
迷っている方の背中を軽く押してくれるお話です…。

人物図鑑インデックス

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名前 井田 速美
職業 農業
 
 

第3回 「売る力」をつけていく

イ:井田農園のサイトを見ると、梨の品種が9種類くらいありましたけど、それ以外の品種もいろいろ研究されているんですか?

井:今はいろんな品種がありますけど、食べたことはないです。

イ:他品種を食べ比べすることがないんですか。

井:ないですね。

イ:それはなぜですか?

井:結局いろんな品種が出ても長続きしないんです。二十世紀、幸水、豊水は三大品種と言われているんですけど、それはいい品種だから残っているんです。

イ:なぜ、新しい品種は残るものが少ないんでしょうか?

井:栽培が難しいものを作り続けるより、新しい品種に逃げてしまうんでしょうね。それと、新しい品種は10年ぐらい経たないと品種本来の形が見えてこないということもあると思います。

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イ:品種を決めたら10年くらいずっと続けて栽培しなければモノになるかわからないということですか?

井:そうです。それぐらい経たないと、商品としてお客さんに支持されるかどうか、全国的なブランドになるかどうかはわからないでしょうね。

イ:それに加えて、販売力や売る側の力も重要なんじゃないですか?

井:いや、商品の素質でしょうね。持って生まれたものが大きいです。

イ:商品の力だったら、10年じゃなくても、数年でわからないんですか? 味が変わってくるとか、安定しないということがあるんでしょうか?

井:たとえば、幸水は広島の幸水農園というところで働いていた方が始めて、そこから全国に広がりましたけど、最初の頃は今のような大きさではなく、もっと小さな梨だったんですよ。

イ:時間を経過しながら、変化していくということですか…。

井:その方が作りながら栽培技術を確立させて、現在の大きさになるまでやってこられた努力の結晶なんです。

イ:そういう方は、新しい品種を栽培する時点で、「最終的にどれだけの大きさにしよう」というイメージがあるものなんでしょうか?

井:たぶんなかったと思いますよ。「これはいいな」と思って穂木を持って帰って自分で試行錯誤しながら作り出したんです。

イ:それは相当信念がないとできないことですね。

井:幸水を最初に作った方に何回か会いに行きましたけど、良い時はどんどん売れて栽培面積を増やしていったようです。そうすると人手がかかります。「人件費が3割がかかる」という話を聞いて「これは危ないな」と思いましたね。

イ:人件費の適性水準はどのくらいなんですか?

井:いろいろな考え方があるでしょうけど、私は25%を超えたら経営が難しくなると思います。最近では県外の商品との競合が激しいから、さらに難しくなっています。

イ:前回のお話で、井田さんが「売るためには技術、経理、販売の知識が必要」だとおっしゃっていた意味が少しわかりました。

イ:今までのお話で、お客さんから喜ばれることがやり甲斐であるということはわかったんですけど、梨自体を作る面白さもあるわけですよね。

井:もちろん面白いですよ。やっぱり面白くないと続かないじゃないですか(笑)。

イ:それは「育てるのが難しい中での面白さ」ということですか?

井:そうですね。たとえば、梨の木は芽が立っていますけど、木の年齢によって剪定位置、摘むポイントが違うんです。

イ:そこを摘まないと味が変わってしまうんですか?

井:変わります。玉太りも違ってきますね。私はそのポイントを見つけるまでに3、4年かかりましたけど、わかると剪定が速くなって、考えなくてもその場所にスッとはさみが入るようになります。

イ:職人技ですね。

井:そうですか(笑)。でも、確かに慣れない人が摘むと葉っぱの形が違ってくるんです。以前、近所の方に畑を見てもらった時に、「この木とこの木は葉っぱが違う」って言われたんですよ。最初は何のことかわからなかったんですけど、よく見たらやっぱり違うんですね。

イ:形が違う?

井:葉っぱの型、揃えが悪いって言うんですか…。そういうもんかと思いましたね。それが35歳の時でした。それまでは惰性で仕事をやっていた感じでしたけど、それから「いい物を作らないといけない」という意識に少しずつ変わってきましたね。

イ:「奥深さを知った」ということですか…。

井:それまでは訳もわからず適当に摘んでいたものが、「やっぱり梨はそういう深さがあるのか」と思いました。それまではどこか甘かったんでしょうね。

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イ:井田農園には、作物を保存する氷温の施設がありますが、これは出荷を調整のためのものですか?

井:二十世紀以外の梨や蕎麦などの保存に使っています。県下にも大きな氷温庫がいくつかありますけど、二十世紀の出荷調整では使われていないと思いますよ。

イ:それはなぜですか?

井:二十世紀は、時期が外れたら販売が難しいんです。

イ:旬じゃなきゃ大量に捌けないということですか。

井:旬でも、二十世紀は糖度が割と低いし、他の品種で糖度が13度ぐらいある品種も出てきますから、売りにくいですよね。

イ:となると、販路を海外に求めるか、栽培面積を減らすかということになりますね。

井:小さいものは東南アジアに出荷していました。でも今は韓国が梨をたくさん作っていますから、日本のものは売れなくなってきています。柿もそうです。

イ:国内は他県のものとの競争。海外では他国との競争となると、どこに道があるんでしょうか?

井:難しいですね。市場で希少価値があれば、梨でも柿でも売れる。でも大量で出回れば売れなくなる。時代とともにいろんな変わり方をしますから…。たとえば、愛宕っていう品種の梨は、大きなものは2キロくらいになるんですけど、みんなが「苗木が欲しい」って言ってどんどん増えていったんですよ。それで爆発的に増えていきました…。

イ:だったら、最初にやり始めた人は苗木を渡さなければいいじゃないですか。

井:畑に入ってポキッと折って持って帰ったら…。

イ:どのみち広まってしまうんですね…(笑)。

井:でも、同じ品種を育てても、栽培方法によって味にバラつきが出てきます。愛宕もいろんな人が作り出してから味が悪くなりました。糖度があっても硬かったり、大きくならなかったり…。技術と思いの差ですね。うちは量を減らして質を良くするようにしています。

イ:今は毎年安定して良い物が収穫できているんですか?

井:安定…。そう言えなくもありませんが、いつまでも続かないと思ってやっています。

イ:会社で考えると、安定しちゃうと安心してしまう経営者が多いと思いますけど、そうならないところが凄いですね。

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井:良い時はあっても必ず落ちる。その前に何の準備もしていなければ大きく落ち込みます。そうなってしまうと相当な努力をしなければ這い上がれません。這い上がれないかもしれない。だから良い時に次の投資もしておかなければいけないと思います。落ちる前に次のことを考えておかなければいけないんですよ。

イ:落ちる時期というのは感覚的にわかるんですか?

井:だいたいわかります。たとえば、鳥取県西部地震のあった平成12年頃から梨の単価が落ち始めたんです。うちはいろんな品種を作っていて、8月から12月頃まで出荷していたんですけど、赤梨系が売れなくなってきたんです。大きな原因のひとつは全国的に出荷量が増えてきたことなんですけど、「これはもう売れないな」と思いましたね。

イ:でも、それは「その年だけのことだ」と思う人もいるんじゃないですか?

井:外に出たら、「(出荷量が)増えてきた、これは必ず(単価が)落ちる」ということがわかりますよ。その当時は、新興とか愛宕などの収穫時期の遅い梨の単価がかなり落ちました。その時に借入をしたんですけど、限度枠いっぱいまでは借りませんでした。借りるのは簡単ですけど、返済しなきゃいけませんから…。経営状況を把握すれば返済能力もわかります。そういうことを考えることも準備のひとつです。

イ:借りて何をするんですか?

井:その年の収入がないから生活もしないといけないし、次の年に肥料を買ったりする時のお金もかかるわけです。他の農家は二十世紀が主体でしたから、打撃が少なかったですけど、「これから梨の単価は下がるな」と思いました。何年かしたらやはり下がってきましたね。

イ:相場に影響されないためにも、「売る力」をつけていく必要があるわけですね。

井:そのためには、やはりお客さんに「おいしい」って言ってもらえる物を作らないといけないです。これが基本。経営面で言えば、作付面積を少なくするとか、労賃・資材のロスを少なくするなどの管理が必要です。

イ:まずは良い物を作って、自分の商品をブランドにしていく…。言うのは簡単ですけど、簡単にはいかないんでしょうね。

井:3年くらいは先が見えませんでしたから…。市場に持って行っても売れないんです。それにJA関係のものに比べて、個人の物は単価も安い。それなのに売れない。売れないと当然単価も更に下がります…。

イ:自信を持っている商品が売れない。これはかなりキツいことですね…。

井:「そんなことがいつまで続くかな」と思っていたんですけど、3年くらいしてちょっとずつ変わってきました。直売所ができたりして、売れるようになってきたんです。収支に目処がつくまでに5年、「まあこれでいけるかな」と感じるまでに8年、今10年経ちましたけど「ちょっと安心」くらいですかね…。

イ:そこまでかかってもやり続けるのは「自立していく」という信念があるからなんでしょうね。

井:次の世代のことを考えていくと、「私の世代で農業で食べていける様にしておかなければいけないな」と思っていましたからね…。

(取材/2013年8月20日)

井田農園
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