今回登場する松田さんは
「炉端かば」という超繁盛店をはじめとして
たくさんの飲食店を経営している方です。
彼は仲間と必死になって仕事に取り組んで
そこから生まれるものを心から楽しんでいるように見えます。
進撃がどのように始まって
これから仲間とともにどこを目指そうとしているのか…。
その舞台裏をちょっとだけ紹介していきます。
名前 | 松田 幸紀 |
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職業 | 経営者 |
イ:松田さんは、現在東京を中心に、山陰以外にも積極的に店舗展開されていますが、社員の生活だけを考えるのであれば、現状を維持していくという選択もあったわけですよね…。
松:そうです。小さくまとまるという選択もありました。
イ:そんな中で、松田さんはあえてリスクを取って山陰以外にも出店しましたが、それはどうしてですか。
松:転機があったんですよ。安来から米子に出て当たって、その勢いで松江、出雲、鳥取も当たった。当時は全国チェーンがほとんど進出していなかったということを差し引いても、もの凄く勢いがあったんです。
イ:その勢いのまま、「攻め続けるか、守りに入るか」という転機があったわけですね。
松:そうです。その時、昔からいる幹部に「ここで勢いを止めて100人の組織のナンバー1、ナンバー2で終わるのか、1万人の組織のナンバー1、ナンバー2を目指していくのか」と意思を確認したんです。それで、私を含めたみんなが「1万人」と言ったので攻めているんです(笑)。
イ:勢いというのは恐ろしいですね(笑)。
松:当然、気合だけじゃなくて、今よりはるかに高い目標を掲げるわけですから、組織も変えていかなきゃいけない、全国チェーンが攻めてきても山陰の城は死守する、生活も変わっていくなど、いろんなことを覚悟した上で出した結論です。
イ:なんか、結論は最初からあったような気がしますけど…。
松:(笑)。少なくとも、僕は「やるしかない」と決めていました。仲間たちもそれを感じて、「全国に打って出るためには、自分たちの意識と行動を大きく変える必要がある」と腹を決めたんじゃないでしょうか。
イ:東京に出るという時に、最初の店舗はすぐに決まったんですか。
松:いや、全然決まらなかったです。2年ぐらいかかりました。店舗を探そうとしても、「かば」は東京にお店がないし、信用がないということで、ほぼ門前払いの状況でしたね。
イ:そんな厳しい状況でも、「なんとかなる」と思っていたんですか。
松:当初は思っていましたけど、さすがに1年過ぎたあたりからは「無理かもしれない」と、気持ちが折れた時期がありました。
イ:文字通りの「門前払い」だったんですか。
松:そうです。悔しくて、冗談抜きで何度か泣きましたね。今までやってきて、山陰で繁盛店をいくつか作ってきたという自負が多少はあったし、「飛行機代を出すので、是非見に来てください!」と熱意を込めて話しても、「東京にお店がないんだったらねぇ…」と言われて、とりあってくれない。そんなことが続きましたから…。
イ:「東京を狙っている、よくある地方飲食店のひとつ」と思われていたんでしょうね。
松:「そういう人、よく来るんだよ」と言われ続け、断わられ続けましたから…。あの頃の2年間は、「何で自分は鳥取生まれなんだろう」とか「山陰で繁盛店を作ったのに、どうして評価されないんだ」という、悔しさと落ち込みの連続でした…。
イ:そんな中、東京の1号店はどのような経緯で決まったんですか。
松:それまでは、不動産屋の段階で門前払いの連続で、オーナーと面談できたのは、2年間に何百軒も回って数えるほどだったんですけど、たまたま僕が東京にいる時に、「今だったら10分だけオーナーと時間が取れます」と不動産屋から連絡があって、会えたんです。
イ:そんなに厳しい状況なんですか。でも、その不動産屋さんは頑張ってくれたんですね。
松:一生懸命やってくれたと思いますよ。それで直接お会いして、意気投合したという感じです。今振り返ると、オーナーとつながるのが一番早いんですよ。でも、会ってくれなきゃつながりようがないし…。「オーナーとつながることは、こんなに強いんだ」と、その時思いましたね。
イ:それは結構いい物件だったんですか。
松:新宿にあったんですけど、まあまあでした。
イ:それが東京進出の足がかりになるわけですね。
松:そうです。あの時は本当にキツかったです。でも、今はもうそんなに苦労しなくても、地方の業者を受け入れてくれると思います。特に地方の名店みたいなところは進出しやすいでしょうね。
イ:松田さんが、苦労して東京に初出店してから10年も経たないで、そんなに受け入れる側の姿勢が変化しているんですか。
松:変わりましたね。僕が苦労した頃は、そんなに景気が悪くなかったですから、物件そのものがなかったんですよ。それ以降は、次第に景気が悪くなって空き物件が結構出ましたから、探しやすくなりましたね。
イ:厳しい時期に1店舗目を出したということは、店舗展開するという意味では、悪くなかったと思いますけど。
松:僕もそう思います。でも、景気や需給を考えると、これからはまた厳しくなるでしょうね。特に本当にいい物件は、水面下で全部決まってしまいますから…。
イ:東京でその後出店した浜松町店は、汐留ビルディング ハマサイトタウンの中にある非常にいい物件ですよね。あそこは、なかなかテナントとして入れないところじゃないですか。
松:あれは本当にいい話でした。汐留ビルディングの関係者の方が、鳥取の出張の際に「かば」の鳥取店をいつも利用されていたというご縁で、ありがたかったです。その時は「山陰で良かった!」と思いましたね(笑)。
イ:東京の1号店を出す前は、山陰ということで悔しい思いをして、落ち込んでいたんですからね…(笑)。
松:コロッと変わって、「田舎、よしッ!」「山陰で良かった!」という感じでした(笑)。
イ:東京に出店するにあたって、「東京に出る時はこうしよう」というコンセプト、イメージはあらかじめあったわけですか。
松:「山陰の食材を中心にする」ということは決めていました。
イ:それは強みですよね。
松:…それはよく言われますから、その都度「強みです」と答えていますけど、実際に東京で商売をしている感覚でいうと、強みと感じることはほとんどないんですよ。
イ:どういうことですか。
松:たとえば「北海道根室の魚」と「鳥取境港の魚」を提供したとすると、ほとんどの方は「北海道」を選ぶと思うんです。
イ:ブランドとしての強さが違うということですね。
松:そうです。現時点では山陰というのは強みになっていません。むしろ山陰の方が考えているより、はるかに弱いブランドだと認識した方がいいと思います。当社が、現在東京で10店舗くらい展開していても、今だに「やまかげさん(山陰産)」とか「とりとりけん(鳥取県)」とか言われますからね。
イ:ということは、お客さんは、すすんで「山陰の食材を食べに行こう!」と思って来店してくるわけじゃないんですね。
松:そう思います。「山陰の魚を食べに行こう!」と、わざわざ丸の内に行くという人はいないでしょうね。もちろん食材はとてもおいしいんですけど、まだまだブランド力が足りないんですよ。
イ:でも、それをわかっていて、あえて「山陰」で勝負しているのは、「それでも地元の食材を使いたい!」ということなんじゃないですか。
松:そう言ったらカッコイイですけど…。でも、「かば」という名前でやっている限りは、とりあえずそこしかウリがないと思っているし、地元のつながりを大切にしたいとか、恩返しをしたいというような思いもありますから…。
イ:たとえ「マイナーなウリ」で、ブランドというパンチ力はなくても、それはある意味でウリであるような気がしますけど…。
松:今のところは、「マイナーをウリにして差別化している」という感じですね(笑)。
イ:マイナーとしてメジャーと勝負しているというわけですか。
松:現状はそうです。でも、だからこそやり甲斐があるんですよ。
(取材/2013年11月26日)
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