野嶋さんは、会社を経営する傍ら
トライアスロンやライフセービングクラブなどの
要職に就いて活動をしている方です。
お金じゃない「たからもの」をたくさん持っているんですね。
はやりの「ワークライフバランス」じゃなく
「ワーク<ライフバランス」。
そのヒントが散りばめられたお話がはじまります…。
名前 | 野嶋 功 |
---|---|
職業 | 不詳 |
イ:野嶋さんが、現在のレンタカーの会社を始められてから何年になりますか?
野:大学を卒業してすぐだから、30年前ぐらいです。
イ:本業の他に、トライアスロンやライフセービングクラブなど、たくさんの要職に就かれているわけですけど、時間をどのように割り振っているんですか?
野:基本的に、8時半から店を開けます。レンタカーの売上は、7、8割が金・土・日の売上なんです。月~木で車のメンテナンスをしていますから、だいたい事務所にはいるんです。誰も「野嶋は仕事をしていない」なんて言いますが、ちゃんと仕事はしていますよ(笑)。
イ:トライアスロンやライフセービング関連の時間は、いつ作っているんですか?
野:書類作成や雑務は、会社の事務所でしています。仕事の合間にトライアスロンやライフセービングの文書を作りますね。
イ:普通の大人と同じようにきちんと仕事をした上で、本業以外のことをしているんですね。
野:仕事はしてますよ(笑)。でも、どうしても、本業以外の部分は、テレビを始めとしたメディアに露出する機会が多い。そっちが目立つから「野嶋は仕事してない」ってみんな言うんですね。月曜日から作業着てひたすら仕事をしてますから…(笑)。
イ:レンタカーは、どういう車種を扱っているんですか?
野:マイクロバスを8台保有していて、この地域では断トツで多いです。それが、週末にフル回転しています。
イ:でも、小さな会社が高いシェアを持っている分野だったら、大手が参入してきませんか?
野:マイクロバスは、結構メンテナンスに手間がかかるんです。大手は普通車などを大量に抱えて数で勝負するのに比べ、マイクロバスはニッチ(隙間)の商品だから、小さい会社でも今のところ生き残っているんです。
イ:「規模を大きくする」という考えはないんですか?
野:売上を追うと、たとえば乗り捨て対応など、それをフォローできるスタッフを揃える必要があります。大手と同じ商品で勝負しても勝てないし、だからといって、特殊なマイクロバスをメインにして人を増やしていったら、ロスの方が多くなりますからね。
イ:なるほど 。
野:それに客層が違います。大手のユーザーは、ほとんどが外部からのお客さん、当社のメインは地元の方で、スポーツの遠征とか、県外への団体旅行の利用になります。だから、お客さんとのつきあいも何十年にわたるというケースが多いです。
イ:かなり長い取引、おつきあいなんですね。
野:そうです。「人と人とのつながり」って、仕事に限らずとても大切だと思いますよ。僕自身、トライアスロンやライフセービングクラブを始めとして、この地域のあちこちに顔を出してるから、いろんな人とつながりができてきます。だから、「車を使ってください!」っていう営業を何年もやった事がありませんね。
イ:でも、そのつながりが増えてくると、自然に売上が上がって、規模が大きくなりませんか?
野:そうなると、常連のお客さんが使えなくなる可能性が出てきます。僕が一番大事にしたいのは、昔から使ってもらっているお客さん。まずこの方たちを優先したい。もちろん初めての方を邪険に扱うということではなく、最低限経営できる仕掛けをきちんと作った上で、古くからの方を始めとして、すべてのお客さんを大事にしていくっていう考え方です。
イ:多店舗展開をまったく考えない居酒屋のおやじ、みたいな感じですね。
野:小さな居酒屋も、大手チェーンが進出して瀕死の状態のところが多いと思いますけど、レンタカー業界も同じ。僕が開業して30年近くになりますが、この地域でこの規模でやっているのは当社だけじゃないかな…。
イ:それはすごいことですよ。
野:さっきも話したとおり、扱っている商品や客層が違うから競合しない。だから大手も攻めてこない。
イ:そうなると、価格決定力もあるし、生き残っていく道筋も見えてきますね。
野:中小零細企業が生き残るためには、やはり、たったひとつでいいから、他社に真似ができないところ、そこに集中するということが必要だと思います。当社の場合だったらマイクロバスに特化する。そして地域とのつながりを深めて、「あそこに行けば何とかなる」っていうほどに信頼されれば、事業を大きくしなくても生き残っていけると思いますよ。
イ:大学生時代にさかのぼりますが、大学時代はどちらに住んでいたんですか?
野:京都です。
イ:卒業時に、都会での就職を考えなかったんですか?
野:最初は考えました。
イ:どういう業種に興味がありましたか?
野:商社です。海外に拠点を持っていて、国外で活躍できるところを漠然と希望していました。
イ:実際に就職活動をされたんですか?
野:していません。大学に入ってから、次第に都会の生活が自分には合わないと感じ始めてきましたから…。
イ:「合わない」というのはどういうことですか?
野:うまく言えないんですけど、心の不安定さ、安定してないなという気持ちですね…。
イ:安定していない?
野:そう。大学の休みの時期に、帰省して海を見た時、「あ~これだ!」と思いました。自分の心が不安定だったのは、普段見ていた風景がなかったということに気づいたんですよ。あるべき大きなひとつがなかった。それが「海」だったんです。当時は海をテーマにした活動はしていませんが、海のない京都に住んでいたから、なおさらその心の中の風景の大きさに気づいたんです。
イ:でも、いざ就職活動となると、そういう気持ちを抑えて、「とりあえず都会で就職しよう」と考える人は多いと思いますよ。
野:3年生ぐらいまでは田舎へ帰る気持ちは少なかったんですが、次第に帰るという気持ちが強くなってきました。今からふりかえると、都会で働くことに対して、臆病な気持ちもあったかもしれないですね。
イ:野嶋さんは体育会系のイメージがありますが、大学時代には何か部活動をされていたんですか?
野:新聞部に入っていました。
イ:運動系じゃないんですね…。
野:新聞部は、定期的に大学新聞を発行していましたが、「これじゃあ面白くないから金儲けを考えよう!」って、ビジネスのネタをあれこれと考えました。当時就職は売り手市場で、自分たちの大学も企業側に人気があったので、「リクルート新聞出したら絶対企業が乗ってくる、絶対固い、儲かる!」ってことになって、実際に行動に移したんですよ。
イ:今と同じで行動力がありますね。
野:それで、大企業に企画を提案して広告集めに行きました。「新聞に企業の紹介も出しますよ!」って、学生をやりながら結構したたにやっていました。でも、企業側からすると、そういう連中を結構「面白い奴らだな」っていう目で見ていたと思いますね。「卒業したらうちに来ないか」という誘いがいくつかありましたから…。
イ:それは、昔の「リクルートブック(全国の新卒大学生を対象とした求人冊子)」みたいなものですよね? 当時、そういうのをやってるところはかったんですか?
野:リクルート社のリクルートブックはすでにありました。だから、僕らがやろうとしたのは「自分の大学だけを対象とした新聞(内容は求人情報紙)」というわけです。
イ:対象を限定しているところは、今の仕事の考え方と似ていますね。
野:そう(笑)。うちの学生を採用したい企業があるなら、「我々の大学にPRしませんか?」っていうのもありなわけですよ。なかなかの営業マンでしょ?(笑)
イ:確かにありです。
野:「一回新聞を出したら100万残るぞ!」って、目標を掲げてやっていました。
イ:残ったんですか!!
野:計算上は残る(笑)。
イ:ほぉ~。
野:でも、学生課がその話を聞きつけて、呼び出されました。「野嶋、リクルート新聞を出すらしいな」と。
イ:新聞を出す前にですか?
野:出す前に。それで、「くれぐれも営利に走らないように」と指導されて、大幅に広告欄をカットせざるを得なくなったんです。
イ:え! それで儲からなかったんですか?
野:50万ぐらい残って、そのお金で豪遊して、ぱぁ~っと見事に使い果たしました(笑)。
イ:学生の豪遊の金額じゃないですよ!(笑) リクルート新聞のアイデアは、野嶋さんが考えたんですか?
野:僕ともう一人のヤツと「何か儲けることがしたい」ということで企画を練ったのがその新聞。でも、儲けることよりも、結果としていろいろな経営者や著名人と話ができたことが大きな収穫でした。
イ:著名人とは、たとえばどういう方ですか?
野:大石義雄先生。この人は日本国憲法の草案を作った人で、すごい迫力がある方でした。ご自宅で2、3時間お話しすることができました。
イ:貴重な時間ですね。
野:それと、ロサンゼルスのオリンピックの三段跳びで金メダルを取った南部忠平先生。この方が、その後の僕の人生を決めたと言っていいぐらい影響を受けました。
イ:そんなにすごい方だったんですか。
野:本当にすばらしい方でしたね…。
(2013年1月25日 取材)
人物図鑑の野嶋さんの画像は、サングラスをかけているものがありますが、目を保護するためのもので、カッコつけて女性にモテるためではないはずです。
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