2016.9.29(木)
恒例の…
前期の決算が出てひとこと。
「大損ですた」
( ゚_゚ )
(↑こんなことアップしていいのか?)
経営者には絶体的収益責任があるから、
そこだけで評価すると
私は明らかに経営者失格です。
(↑「経営者」って名乗ったことは一度もないけど)
でもね…。(↓こっから言い訳)
会社を17年続けてきた感触だと、
なんか帳簿上に計上できない
「見えない資産」が結構たまってきた気がしています。
それは、「アレ」と「アレ」と「アレ」です。
(↑「損」は言うのに「アレ」は具体的に言わない)
んで、その「見えない資産」をどう料理していくか…。
レシピはできてるんだけど、
調理すんのはめんどくせぇなぁ…。グズグズ…。
「しょうがない…」
(↑いよいよ「やる気スイッチ」が入るのか!!)
「調理師募集中です!」
(…↑そっちかよ凸)
※このネタ、毎年やってる気がする…。
(2016.9.29)
2016.9.28(水)
変換に惑う
先日、とある場所にいて、
「意欲は誰にも負けません!!」
「やる気だけは人一倍あります!!」
という言葉を何回か聞き、気持ちが乾く。
今までいろんな人に接してきたけど、
その人が「意欲」とか「やる気」っていうのを
言葉や文字に変換した時点で、
思いの安売りが始まる。
たとえば人を採用する時、
「やる気が感じられたヤツを採用したらダメで、
『コイツ大丈夫か?』と思っていたヤツの方が、
意外とよくはたらいてくれている」
という採用担当者の話を耳にしますが、
これは「人は見抜けない」んじゃなく、
その人に「人を見抜く力がなかった」という場合も
かなりあるんじゃないか。
「本質を見抜く」なんてことは
確かに難しいことなんですけど、少なくとも
「見せかけの言葉や文字変換に踊らされない」
ということは、採用だけではなく、
あらゆる場面で必要なことだと思います。
(2016.9.28)
2016.9.26(月)
草食系でした
何気なくテレビでRIZIN(格闘技)を見ていたら、
はまる。
特にレスリングから転向した山本美憂と
シュートボクシングのRENAの試合。
女性なのに闘争心があふれていて
超本気なのが超素人の私にもよくわかったし
見ごたえのある試合でした。
(RENAがなんと絞め技を決めて勝利)
この二人、めちゃめちゃカッコイイ!
試合後、ふと思う。
二人のうちのどちらかが私の彼女だとすると、
(↑ありえない設定)
たぶん私のことが物足らなさ過ぎて、
手も足も口も出してくるんじゃないかと…。
…ていうか、
萎縮しちゃって普段の自分が出せないし、
今さら「彼女に認められる強い男になってやる!」
なんて背伸びする覚悟もない。
普段「闘争心」なんて
感じる生活を送っていない私ですし、
自分を「草食系」なんて思ったことがありませんが、
こーいう試合を見せつけられて、
自分が「真性草食系」だということがよくわかりました。
「やるぞ~ッ!」
(↑「何を?」← しかも小声だし)
(↑だから「草食系」だっての凹)
(2016.9.26)
2016.9.21(水)
レビュー作戦
文具「穴あけパンチ」を購入するためAmazonで検索。
よさそうなものが見つかる。
昨日の「トレーニング機械」もそうなんだけど、
頼りにしてるのは「ユーザーレビュー」っていうヤツ。
不思議なのは、どんなクソニッチな商品でも、
必ず数件の「レビュー」が掲載されているということ。
私は一回も「レビュー」を書いたことがないけど、
「どこのどいつがアップしてんだ?」
っていつも思う。
これを会社の仲間に尋ねたら、
「レビューを書くというしごともあるんですよ」
って言ってた。
なるほどね
たぶん多くの人は、初めて買う商品やお店を探す時、
「レビュー」を頼りにする。
んで、次にそれが
「信用できるものかどうか」を吟味する。
だから、
「信頼できるレビューをいかに多く集めるか」
ということはそのサイトの盛衰を決める鍵になる。
さらに、その「レビュー」は
「クソレビュー」と「信用できるレビュー」が
「程よく載っているもの」でなければいけないはず。
「クソ」は「信用」を引き立たせるから。
たぶんAmazonなんかのレビューは
それがわかっているから
「クソ」を排除しないんだと思う。
話変わってこの徒然。
「『クソネタ』をたくさん載せているのは、
『スゴネタ』を際立たせるため」
だってわかってました?
ウソで~す。(←バカ)
(2016.9.21)
2016.9.20(火)
はじめての買い物
初秋になると、日没が早くなるので
そろそろ今年の「惰性ウォーキング」は
終わりにしようと思っています。
例年03月から再開するのですが、
今回はシーズンオフ(?)の期間中に
何かトレーニング機械を買って
家で全身を鍛えようと思いつきました。
んで、サイトであれこれと検索してみる。
「体に巻いてるだけで腹筋がつきます」
(そんなんだったら一億総シックスパックだっての凸)
「1日10分で理想の体に!」
(嘘つけ凸)
「飲むだけで痩せられます!」
(食わなきゃもっと痩せるだろ凸)
…って、やっぱりこーいう類の商品は、
「ラクして理想の体になったり、減量したい」
という「どーしようもない連中(私も含む)」を
相手にしてるから「お手軽さ」がウリなんですね…。
んで、消去法である商品を買い物カゴに入れました。
(レビューには、「こんなのでは筋肉はつかない」
「音がうるさい」「初心者向け」「おすすめしません」
なんてさんざんだったんですが、
やはり「お手軽さ」には勝てませんでした。)
果たして、3日で飽きて「負の遺産」と化すのか、
(靴だったら8足ぐらいは干せます)
「★★★★★」の逸品となるのか。
その答えは、数週間後(飽きた場合)あるいは、
半年後(逸品化した場合)の徒然を待て!!
(2016.9.20)
2016.9.15(木)
早めの究極感
以前当社の池田が、「STAFFにっぽー」で、
「iPhone7はFeliCaが使えて超便利」
ってアップしてたけど、
「そんなもんかねぇ」って思う。
「おサイフがケータイ」なら考えるけど、
「おサイフケータイ」ならいらないね。
んで、「便利」について考えてみる。
先日、京都~神戸で美術展をはしごする。
ある漫画家さんの展覧会は、
「デジタル出力」による作品がかなり多かった。
これは、作家が「便利」「合理的」「きれい」
って考えて制作した結果なんだろうけど、
「こんなのだったら画集を観てりゃいい」って思う。
コンビニもよく利用するけど(すんのかよ)、
その理由は、まんま「便利」だから。
コンビニで130円で売ってるジュースは
ディスカウントストアに行くと半額ぐらい。
その差額が「便利代」ということになる…。
ホテルとかの「サービス料」みたいだが、
ジュース代65円
コンビニ料(サービス料)65円
って変換すると、なんかイラつく(自分にも)。
「不便であること」を「便利にしていく」のは
いいことだし、ビジネスチャンスでもある。
でも、その究極は
「何もしない。しなくてもいい」
ということなんじゃないか。
もしそうだとしたら、
「『便利』というのもほどほどにしとけ」って思う。
…まぁ、私の場合は、その「便利の途中」ですら
すでに「究極感」があるわけですけどね…。
(2016.9.15)
2016.9.14(水)
また出たネガティブネタ
朝メールをチェックしていて、
「責任のある仕事を与えることで
部下の適性が判断できる」
という有名な経営者が書いた記事を見つける。
「与える」って何?
この人「部下を飼ってんのかよ」って思う。
(「任せる」っていうのならわかるけど)
これ、気にするほどのことではないかもしれないけど、
「社員に対する経営者の本音」というのは
こういうところに現れてくるんじゃないかなぁ…。
私自身は「与える」なんて感覚がまったくないから、
今までもこれからもそういう表現をすることはない。
いや。むしろ当社の場合は、
会社の仲間が私に対して、
「うえださんにそのしごとを与えてやろうか?」
「暇そうだし…」
「いくらなんでも小皿ひとつぐらい消化できるでしょ」
という表現が馴染みそうな気もするが…。
消化できるかなぁ…。
(もういい加減にこーいうネガ系のネタはやめとけ!
鮮度が落ちてっから。)
(2016.9.14)
2016.9.13(火)
ギアを戻すな!
ある頼まれごとを引き受けて、
自分の知識・理解力不足による
進行のまずさを感じていたら、当事者から、
「段取り悪ッ!」
と指摘され、しばらく凹んでいました。
こういう時、
「こっちは善意で引き受けてるだけで、
ホントはやりたかないんだよ!」
「迷惑かかっから、もう金輪際やらねぇ凸」
って瞬間思うんですが、
「やめる」ということは、
「自分ができること、できそうなことだけはやる」
ともとれる。
だけど、いったんそういうところにギアを戻しちゃうと、
「難しい」とか「めんどくさそう」というギアには
永久に入らないような気がします。
経験や知識が浅いということは、
周りに迷惑をかけるということ。
でも、そっからしか何も始まらないし、
誰もそこから始めてる…。
そう考えると、
「もう少しだけやってみるか…」
という気持ちにもなる…ような気がします。
(2016.9.13)
2016.9.9(金)
昌幸をひとつ
しごとの受注を目指して、企画書を書く。
以前はすべて自分でやっていたのですが、
今はプレゼンを含むような大きなものだけやっています。
自慢じゃないですけど、
「絶対取りたい。取れなきゃ切腹…(←大袈裟?)」
というようなコンペでは負けたことがありません。
間違いなく「たまたま」なんでしょうけど…。
会社も長くやっていると実績や信用ができ、
それが企画を評価するポイントのひとつになりますが、
当社をはるかに上回る規模の会社は、実績や信用、
そしてプレゼンの技術が桁違いです。
また、企画を検討する方々も、
「大きな会社に任せたほうが安心」ですから、
まともに戦っては勝ち目がありません。
「だったら、どうしたら勝てんのかよ?」
ってことを真剣に考える…。
真田昌幸(草刈正雄)みたいに…。
(↑こりゃかなり大袈裟)
そして粘り強く考えると、かすかな光明が見えてくる…。
この「少ない(弱い)ピースをあれこれと組み替えて
なんとか形になるものにしていく」感が、
結構好きなんですね。
「勝つか負けるか」というのは運もあるけど、
なんとか運も引き寄せて、
五分五分…んにゃ、六分の勝ちの流れを作っていく。
さらに言えば、
「負けた時どーすんのか(←勝つつもりではいるけど)」
ということまで細かく考えていく。
「経営」というほどのものではまったくありませんが、
会社の責任を負う立場の人たちにとっての
「しごとの面白さ」は、そーいうところにもあります。
「あなたも『昌幸』おひとつどーですか?」
(2016.9.9)
2016.9.7(水)
託されたバトン
地域の発展に尽力された
地元の経営者が亡くなられました。68歳。
気さくな方なんですが、私は人見知りが激しいことと、
その方の存在の大きさに気後れして
ほとんど会話をしたことがありませんでした。
でも、私がある事業を知人とやることを思ついた時、
一度だけ長時間お話を伺ったことがありました。
翌日、お礼のメールを送ると、
「事業プランを持っている人はたくさんいます。
しかし、行動に移す人はほとんどいません。
大切なことは行動することですよ」
というような内容の返信をいただきましたが、
結局、このプランは実行することなく終わりました。
そして数年前、あるバーで偶然一緒になり、挨拶すると、
「うえだくん、小さくまとまってたらダメだよ」
と一言。
自分の生きざまを見透かされてしまいました。
その方との接点は、たったそれだけなんですが、
私には深い足跡が残りました。
この地域の多くの方が彼から
「見えないバトン」を託された。
これを「見えるもの」にしていくことが
残った人たちがやらなきゃいけないことじゃないか。
ご冥福をお祈りしながら
そんなことをぼんやりと思いました。
(2016.9.7)
2016.9.6(火)
焼き直しでもう一回
中小企業白書によると、
「会社の寿命は23年」
これについては、以前徒然でも話題にしました。
当社は設立して17年になりますが、
この「23年」という数字、かなり意識しています。
寿命は、会社の規模や業種、地域によって
かなりの差があると思いますから
「20年ぐらいからは危ないな」
とは思っているんですが、同時に、
「なんで危なくなるのか?」
ということも考えるわけです。
自分の体感としては、
①捨てなきゃいけない事業にこだわりすぎる
(守りに入る時期じゃないのに守りはじめる)
②既存事業に依存して新規事業の種を蒔かない
(新しいことをやろうとしない)
そして、
③会社の代表の経営熱量の減少
ということがあげられると思います。
わかってんじゃん!!
私の場合、
①は「ない」
②③は「あるある~ぅ」
だから、「23年」ていうのも
現在のところ「かなり現実的あるある」かも…。
んにゃ。
「未来は変えられる!!」はずだから、
「こっから盛り返して行こう!!」…かな。
…ここまで入力して、
「追加すべきもうひとつの要因」に気づく。
それは、
「④会社の代表が著しくネガティブ」
ってこと。
社歴が17年以上23年未満の
中小零細企業の経営者の皆様。
お気をつけください…。(←特にオレ)
今日はこんだけです。
(最近、以前のネタの焼き直しネタが多いねぇ…。
気づいてた?)
(2016.9.6)
2016.9.5(月)
Don't think. Feel!
唐突ですが「霊」の話で疑問に思っていることなどを…。
【 守護霊 】
「何とか師」っていう人が、
「あなたの守護霊は◯◯です」
って言う時、だいたいそれは、
「誰もが知ってる有名人または先祖で日本人」
という場合が多い。
(「あなたの守護霊は山本健作さん(無名)です」とか、
「トゥク・ハルサリ・エデゥさん(同無名外人さん)」
などということはない。)
「あなたは◯◯の生まれ変わりです」
という場合もそう。
てことは、
「複数の人が同じ守護霊(有名人)であったり
生まれ変わりである可能性が高い」
ってことにならへん?
坂本龍馬さんなんて、
数百人の守護霊・生まれ変わりだったりして…。
たいへんですね…。
【 幽霊 】
同じく「幽霊」もそう。
出てくるのはせいぜい昭和に亡くなった人まで。
(まれに「平将門」っていうのもあるけど)
「恨み」とか「心残り」ってことだったら、
「マンモスに妻子を殺された原始人の男の霊」
が出てきてもよさそうなもんだけどなぁ…。
出んのよね、こーいうの。
…15年ぐらい前に、
そんな素朴な疑問を街角の占い師にぶつけたら、
明らかに答えに窮して、
「そんなこと聞くんじゃねぇよ凸」
って顔をされたことがあります。
「考える」ことよりも、
「感じる」ことがたいせつなんでしょうね…。
今日もこんだけです。
(2016.9.5)
2016.9.1(水)
「成果」と「拘束」
しごとというのは、
「成果」で報酬を得る場合と、
「拘束」で得る場合とにわかれます。
「成果メイン」の場合は、結果を残すほど報酬が上がり、
「拘束メイン」だと、その時間内にいくら実績をあげても
報酬はほとんど変わらないことが多い。
「成果メイン」は時間拘束がゆるく、
自分で自由に時間を組み立てることができるけど、
(そのかわり、自己マネジメント力が必要になる)
「拘束メイン」だと、いくら能力のある人でも
契約した時間は束縛される…。
たとえば、当社が行っている職業訓練。
インストラクターは時間中「拘束」されるけれど、
いくらインスト能力があっても
それを数値化することはできないし、
「人気講師に100名訓練生が集まる」
なんてことはないから、
報酬をどんどん上げることは難しい。
これは会社を運営していくにあたってのジレンマです。
話は少し変わって…。
私は、会社の代表という立場なんですが、この立ち位置は
「数字(結果)責任のすべてを負う」という意味で
「成果メインの典型」です。
この立場を「たいへんそう」と思う人は多いんですけど、
面白いこともたくさんありますから、
はたらく人にリスクをそんなに背負わせない形で
「拘束」→「成果」へはたらき方を変えていきたい。
結構難しい課題なんですけど、
少しずつ近づいていきたいと思っています。
(2016.9.1)