むかしのぼやき

2015.3.31(火)

 

誕生日雑感

今朝早く、母親と姉から携帯にメールが届く。

「誕生日おめでとう!」

そして、年をひとつ重ねたことに気づく…。


携帯が普及してから、毎年この繰り返しです…。

今朝は携帯に長女からの着歴があったので、

「何かあった?」

ってEメールを送ったんですけど、
現時点で返信はありません…。
(↑オレは「携帯・メール」という手段しか使えない)

たぶん「おめでとう」と言いたかったのね…ごめん。


「年をとったな」と思う瞬間はいくつもあるんですけど、
一番しみじみとするのは、
「年齢早見表」で自分の年齢が
前半近くにあることに気づく時ですな…。

ちなみに「ほぼ日手帳」では
「明治40年(1907年)108歳」が最高齢です。

どーせなら

「明治元年 148歳」

とかまで載ってたら
ネガティブな私でも元気が出そうな気がしますがね…。

(2015.3.31)


2015.3.30(月)

 

驚きと恐怖と落胆と

3月29日 11:58
Amazonを利用して東京にいる長男宛にDVDを送る。

3月29日 14:13
Amazonより「商品を発送した」というメールを受信。

そして、何時かわからないけど、当日中に商品が届く。


これ、首都圏に住んでいる方にとっては、
もはや当たり前のことなんでしょうけど、
地方に住んでいる私にとっては驚くべきことです。

なんという物流システム!
実店舗なんていらないじゃん!!

(Amazonは、さらにヘリを使って30分以内に
商品を届けようとしているとか。アメージング)

私がもし本屋などの小売業の経営をしていたら
恐怖で不眠症になってしまうっての!!


それにしても、
到着後おそらく12時間以上経ってるはずなのに
長男から何の連絡もないってどーいうこと凸

Amazonの素早さと比較した素遅さ(?)が
妙なハーモニーを奏でてるっての凸凸凸

(2015.3.30)


2015.3.27(金)

 

何回目のダウンよ?

徒然で何度もお話しているんですけど、
年を重ねていくと新しいことをするのが
めんどくさくなってくるんですよね。(←私の場合)

でもって、自分の引き出しから
使い古された経験談を出して再利用する。
その方が新しいことに挑戦するよりラクだから…。


中高年以上の人で同じ話を何回もする人がいますが、
これは毎日惰性生活を繰り返して、仕入れをしないから、
古いネタ(主に自慢)を再利用してるんでしょうね…。

そういう人にならないためには、毎日わずかでも
新しいことに挑戦(仕入れ)しなくちゃいけない。

そうしないと、引き出しは増えないし、
人としての魅力もあせてくるんじゃないか。
そう思います…。

いけね!

おそらく、この「再利用ネタ」
「再々利用」あるいは「再々々利用」していますね…。
だって、引き出しに手あかがついてるもん。

…というわけで、徒然再開2日目にして
「ネタ枯れダウン」してしまいました。


…すいません。今日もこんなので終わりです…。

(2013.3.27)


2015.3.26(木)

 

どーいうこと凹

5日間徒然をさぼってアップしなかったので、
「アクセスが相当減っんだろ」と思ってチェックしたら、
全ッ然減ってない…ていうかむしろ増えてる…。


どーいうこと…凹


「オレのネタなんてどーでもいい」ってことね…。

んでもって、長い間会社を留守にしていてので
「みんなさぞや大変だったんじゃないか」
って心配していたんですけど、
そんなことも全ッ然なかったみたい…。


どーいうこと…凹凹


さらに留守中のメールをチェックしても
重要なメールは1、2件しかなかった…。


どーいうこと…凹凹凹


しかも、なかまが処理してくれてた…。

ありがとうございました


てことで、再開後アクセスが減らないように
放電していきたいと思います…。

今日はこれで終わります!


どーいうこと凸凸凸

(2015.3.26)


2015.3.18(水)

 

きたるべき感慨

今春、次男が中学を卒業しました。
私の周辺でも卒業・入学をする子供が結構いて、
SNSなどでも感慨コメントが
多数アップされていますが、
どうも私にはピンとこないんですね…。

情がないのか…。(←んなわきゃない)

親になって感じるのは、
子供と同じ年代だった自分をだぶらせるということ。

次男の卒業や受験でも
「自分の頃は…」とふりかえるんですが、
「自分が通ってきた道に
数十年後の自分の分身が歩いているに過ぎない」
という感覚なんですね…。

情がないのかッ!(←んんんなわきゃない!)

だから、これから先、子供たちが
私の踏み込んだことのない轍のない道を進んだ時
初めて「感慨なるもの」がわき起こる気がします。

「お前スゲーな!!」
「そう来るか(≒そんな選択するか!)」
「ジーン……(感慨)」

っていうのは、これから先にとっときます…。

(2015.3.18)


~ここで悲しいお知らせ~

え~…
数少ない徒然マニアの皆さま。
諸事情により、明日より徒然はお休みとなります。
(次回は3月25日ぐらいになりそうです。)
ただし、頻繁にアクセスするように。
(カウンターが上がっから)
それでは、しばらくのあいだおやすみなさい…

(|3[___]…ZZZ (←最近のマイブーム絵文字)


2015.3.17(火)

 

超好感度美女のささやき

先日の日曜日の新聞で
上戸彩さんがにっこり微笑んでいた。

「いやされるな~『マイナンバー』」

って、昔議論されてた「国民総背番号制」の広告かよ凸


いよいよ、戸籍から資産、前科、免許、社保など
あらゆる情報がひとつに管理される時代の到来です!

SFマンガや小説に描かれた世界が
ついに現実になるんですね!!

たぶんこのまま行けば、
UT114510OSRUOSAN52
(うえだとしお いいしごとをするおっさん52歳)は
現在公衆便所でんこをしています」
(↑「いいしごと」≠「んこ」)

ってことまでわかっちゃうんじゃないの凹


「恥ずかしい…」  (≧▽≦ )いやん♪


…いや、そうじゃなくて、

「やろうと思えばそこまでできちゃう制度」
(「んこまでわかる」という意味じゃなくて)
というのは、かなりの危険臭がします。

美人がにっこり微笑む(おいでおいでしてる)
というのもなおさら不気味に感じるんですけど…。

気のせいですかね…?

「気のせいですよ
UT114510OSRUOSAN52さん」
(耳元で上戸彩さんがささやく)

(2015.3.17)


2015.3.16(月)

 

都市伝説層

未成年の凶悪事件が起こると、

「運動会で『手つなぎゴール』なんて
教育をさせるからダメなんですよッ!」

という発言をする方がいまだにいるんですけど、
私には子供が三人いるのに
運動会で一度も見たことがないんですよね、
「徒競走の手つなぎゴール」…。

たぶんある種の「都市伝説」なのかも…。

これに限らず、
「検証もしないで使い尽くされた言葉」を放つ人
って多いのですが、そういう発言をする方のほとんどは
「多数側の立場」に立って、都合よく
「真実っぽい浅い原因」を語っていると感じます。

逆に「検証した自分の言葉」を放つ人は
「多数側にとっての不都合な真実」
を語っている方が多い。

まぁ、これも検証したわけじゃないんですけどね…。
(↑なんだよそれ!)

事件の深層は、
何層にも重なりあって複雑だと思いますが、少なくとも
「手つなぎゴール」の層は全然浅くて
「不都合な真実」の層の方が断然深い
ということだけはなんとなくわかります。

(2015.3.16)


2015.3.13(金)

 

「仮眠」と「Come in」って似てるね(意味不明)

昨日、会社の自分の机で仮眠しているなかまを見かける。
こんな光景、私が学生の時以来です。

…懐かしい…

…んじゃなくって、お疲れさまです。
(なんでも連日深夜までしごとをしているらしい。)

私はというと、
「集中力が続かなくなったので帰ります」
って、とっとと帰る(PM5:45)。

だって、やってることが難しすぎて
手伝えることが何もないんだもの…。
(↑学ぼうとする姿勢もない。
とっとと帰宅することが唯一の手助けだと信じてる。)


…弁解のために一応言っときますけど、
私も遅くまでしごとをしている時があるんですよ。
(↑ただし、年に数日)


会社のなかまのしごと量には、それぞれ波があって、
それがピタリと重なることはないわけだから、
ムリに合わせる必要はないと思っています。

それと「かかる時間=成果」というわけでもないしね。
(ただし仮眠のなかまの場合、彼は(たぶん)優秀なので
「時間<成果」だと思うんですけど…。)


…そういうわけで、かくいう私も
自身に次に来るであろう大波に備えて
仮眠を取ることにします…。

(|3[___]…ZZZ

(↑それって、「仮眠」じゃなくって「就寝」
あるいは「永眠」じゃないでしょうねッ凸)

(2015.3.13)


2015.3.12(木)

 

続・想像の中の彼

2014.12.15の徒然でご紹介した
コンビニでバイトをしている
私と同年代同容姿のおじさん。

3か月前「トレーニング中」の名札でしたが、
今日久々にコンビニで見かけたら、
まだ「トレーニング中」でした…。

たぶんかれこれ半年くらい「トレーニング中」です。

カップめんを持ってレジに行くと、
やっぱり不器用なんですね。

まずカップめんのバーコードの場所がわからない。

左に180度回して発見できず。
それを右180度回しても発見できす。
(↑「同じところを二度見してる」ことに気づかない)
そこから更に180度右に回して発見できず。
更更に90度左に回してようやくバーコードを発見!


金庫のダイヤルかよ凸


レジからお釣りの小銭を出す時ももたついてる…。

前回はそんな彼を応援していたんですけど、
半年たってもなお、ここまであたふたしていると、
さすがに「ちょっとまずいんじゃないか」って思います。

でも、やはりレフリーストップが出るまで…、いや、
出ないように踏みとどまってほしいです。

そこを越えたところに必ず道があると思うから…。

引き続き見守っていきますね…。

(2015.3.12)


2015.3.11(水)

 

モラル違反の両者

先日、ある飲食店に行って食事をしたら、
知り合いのバイトの方が気を利かせて
代金を割り引いてくれました(←大幅に)。

これ、ありがたいことなんですけど、
もし本人の自分勝手な判断だとしたら
間違った行為だと思います。

「店長からのサービスです」って言われると、
なんだか常連さんみたいで鼻が高い。
このケースも「上司が了解済み」だったら
「まけときました」というのはありですが、
モラルの低下と利益の消失を考えると、
そんなことを許す経営者はいないでしょう。

心配なのは、そのバイトの方の将来と
会社の行く末なんですが、
それ以上に気になったのは、なぜ私自身が、

「気持ちはありがたいんですけど、
もしあなたの好意でやることだったら、
おいしかったので正規料金を払いますよ」

って、はっきりと言えなかったのか…。

後味の悪い食事となりました。

(2015.3.11)


2015.3.10(火)

 

チキンじゃなくて人間だもの

当社では、昨年会社としては
大きな新しいしごとを二つ始めました。

今年もまたひとつ。
私がかかわっていないしごとが始まっています。
(↑内容がまったくわかんないので、
私は見守っているフリをしているだけ)

それと、もうひとつ。
昨年始まった業務のリニューアル。
これは、業務の相当部分をスクラップして
また始めからやり直す感じで進めています。
(↑こちらは大枠を私が練って
細部をなかまに委ねているので
担当者の負担は相当あると思います。)


私自身、会社を作ってから
失敗やなんとかなっているものを含めて
新しいことをいくつかやってきました。

それがどういう結果になったかについては、
今、まったく後悔がないんですけど(←瞬間はあります)、
「挑戦しなかったこと(やらなかったこと)」については
自分に対する腹立ちが今でも起こることがあります。

そのほとんどは、
『ビビってやらなかった』もので、
想定されるリスクや困難さにひるんだものです。
そういう時って必ず「やらない理由」を探しだして
自分を慰める自分がいるんです。

「『やらない』という選択はラクなんですけど、
自分の成長は少しもない…というか、
人として退化しているんだよッ!!」

って言い聞かせながら
少しでも前へ進もうとしている私。

「意識はある分、退化は免れている」
とは思うんですけど、どうなんでしょうか…。

(2015.3.10)


2015.3.9(月)

 

「戻らない」という気づき

耳の調子が悪くなったので1年ぶりに耳鼻科へ行く。

「耳鳴りがひどいんですけど…」

『いつ頃からですか』

「えーっと、数年前から…すいません」
(↑なぜか謝る)

(診察結果)
『…たぶん神経の一部が機能していないと思いますが、
完全には治りませんよ。症状が出てから、
せめて2、3ヶ月ぐらいまでに診察できてたら…』


…(´・ω・`)ショボーン…


そーいえば、
前回臭いがわかんなくなって診察を受けた時も、

『ここまで放っとくと、ポリープを切除しても
おそらく完全には治りませんねぇ…』

って同じ先生に言われたっけ…。


建物も人間も、なんでもかんでも、
「気づいたら即メンテナンス」
ということが、長持ちの秘訣ってことですね…。

これからはこまめにメンテいたします…。

∠(`・ω・´)

(2015.3.9)


2015.3.6(金)

 

面白さの芽

私は「しごとがイヤなら辞めれば派」とお話しましたが、
カンタンに「辞めちゃえば」と
言っているわけではありません。

しごとを「クソくだらん」「苦しい」「バカバカしい」
などと感じるのはわかるんですけど、
「そこで何かを得たのか?」
ということがとても重要だと思うんです。

どんなにイヤなしごとであっても
そこには必ず創意・工夫・発見の芽はあり、
その芽を見つけて育てることが
「しごとの面白さ」じゃないか。そう思います。

それを見つけることなく転職したとしても、
おそらく永遠に「ホントの面白さ」は見つからず、
「クソくだらん」「苦しい」「バカバカしい」
とまたまたつぶやく自分がいる…。


よく、「しごとは厳しいものだ」と言う人がいて、
かと思うと「しごとは面白いものだ」という人もいる。

これ、真反対のことを言っているように感じますが、
結局同じことを言っているんですね。


つまらなくしているのも、面白くするのも自分にある

ということです。

(2015.3.6)


2015.3.5(木)

 

たまらん凹凹凹

昨日、ある方の相談を受けていて話が脇にそれ
当社の将来について語り始める…。

「会社はいつまで持つかわかりません。
来年潰れるかもしれないし…」

と私が口にすると、その方が、

「どもまでネガティブなんですかッ!」

って少し呆れていました。
(注:その前にもネガな話をかなりしていた。
↑どっちが相談者なのかよーかわからん凹)


徒然マニアの方は、もうおわかりだと思いますが、
ここでの話の大半はネガティブ、あるいは内向的です。


でもね。


「ネガティブ=真性ネガティブ」

というわけでもないと思うんですよ。

たとえば、会社を15年以上続けていて、
たまに「すごいですね」的なことを言われるんですけど、
長い人生のある時期において
たまたま小さな会社の代表をしていて、
良運が積み重なってなんとなく生き延びてるに過ぎない。
だから、数年後凹になってる可能性があるわけです。

私は、凹になる覚悟はできているし、
その可能性はかなりあると思っています。

それと同時に、
社会的に意義のあることをやっている自負もあるし、
会社の仲間や家族と船に乗っている責任もあるから
いろいろと考えたり、行動しているんですね。
(↑これ、すんごく当たり前のことですけど)


参考までに、スケールは全然違いますけど、
私の考えにおそらくかなり近い経営者をご紹介します。

ダイソー社長の矢野博丈さんどーぞ!!(ここで拍手)

矢野社長のネガティブ発言


この「仮性ネガティブ」さが
私の理想とするところであります凸

たまらん凹凹凹

(2015.3.5)


2015.3.4(水)

 

超私的徒然(時間のムダになるかもよ)

昨日の徒然は、解釈によっては
かなり誤解を生むような表現をしていると思います。

実は私もかなり合理的な人間でして、
周りの人はどう感じているかわかりませんが、
「計算しながら生きている」
と自分では思っています。

これは、「割り切れる生き方」であり、
全然悪くないんですけど、年を重ねていくうちに、
「『割り切れない生き方』もありじゃないか」
と考えることが多くなってきました。

たぶん、その理由のひとつには
私の身近に「割り切れない人」が増えてきた
ということがありますが、
「増えてきた」のは「自分が呼び込んだ」とか、
「そういうところに自ら軸足を移しつつある」
とも思えるんですね。

「迷いまくりの自分が、これからどうなるか」
まったくわかりませんけど、
「転換点にいるかもよ?」
ということだけは、なんとなくわかります…。

徒然で話すことじゃないですけどね…。

(2015.3.4)


2015.3.3(火)

 

断捨離じゃなくて

家に帰って「鶴瓶の家族に乾杯」をぼんやりと見る。
3.11で被災した宮城県の回。

途中から見入ってしまったのは、
地元の方たちのほとんどすべてが
生きることにひたむきだったからです。

特に染みたのは、
「自分たちがここに踏みとどまり続ければ
必ず人が再び集まり、復興する」
という信念を持っていたこと。

単純に考えれば、
「子孫が再び被災する可能性があるから、そこを離れる」
という選択肢だってあるけれど、
「自分たちがそこに居続ける限り再生する」
と信じている。


「危険なら安全なところへ行けばいい」
「過疎地が不便なら便利なところへ引っ越そう」
「イヤならやめればいい」

そういう考えはとても合理的なのですが、
そういう選択では得られないものもある。

「『安心して寝られる』ということだけでも
とてもありがたいことなんですよ」

これは合理性を追求し続ける人には
生涯得られないしあわせなんだと思いました。

(2015.3.3)


2015.3.2(月)

 

出ない答え

最近、会社の仲間が
「自分でしごとを作っている」
という姿をよく目にします。

「◯◯をやろうと思います」
と口に出して行動する人もいるし、
黙々とやっている人もいます。

「たぶん、私(←一応会社の代表)がいなくても
会社は勝手に動いていくんじゃね?」
って本気で思っています。


会社はいまだに零細企業ですから、
運営について偉そうには言えないんですけど、
やはりかなめとなるのは「採用」だと感じます。

「自社の規模で採れる以上の人たちを
どうやって迎え入れていくか」

採用の本を読んだり、経営者の話を聞いても
その答えはひとつではないので
よくわからないんですけど、

「こだわる(≒妥協しない)」

ということが唯一共通しているんじゃないか。
私はそう思います。

「何にこだわるか」
ということについては、今の私にはわかりません。

(たぶんその答えは出ないかも…)

(2015.3.2)